CEO INTERVIEW vol.1
AFA(Anime Festival Asia)を世界有数のジャパニーズポップカルチャーイベントに育て上げた
ショーン・チンさんとのインタビューをお届けします。
ショーン・チンさんとのインタビューをお届けします。
ショーン・チン(Shawn CHIN)
Profile
SOZO PTE LTD創業者兼マネージングディレクター
電通での経験を通じて、日本のエンターテインメント業界と触れ合い、その後、日本文化とポップカルチャーへの情熱から2009年にSOZO PTE LTDを設立。そして、「AFA(ANIME FESTIVAL ASIA)」を世界有数の日本ポップカルチャーイベントに成長させました。
SOZO PTE LTD創業者兼マネージングディレクター
電通での経験を通じて、日本のエンターテインメント業界と触れ合い、その後、日本文化とポップカルチャーへの情熱から2009年にSOZO PTE LTDを設立。そして、「AFA(ANIME FESTIVAL ASIA)」を世界有数の日本ポップカルチャーイベントに成長させました。
出会いは、2008年のアニメ・フェスティバル・アジア
――2008年からスタートしたAFA(アニメ・フェスティバル・アジア)。開催しようと思ったきっかけを教えてください。
当時、東南アジアで大規模なアニメイベントが開催されることがなかったんです。そこで、東京国際アニメフェア、アメリカのアニメ・エキスポ、フランスのジャパンエキスポのように、東南アジアでも地域アニメコンベンションが開催できないかと考えたのが、AFAを始めようと思ったきっかけでした。
ショーン・チン氏
――続けて、ショーンさんと矢田部さんの出会いを教えてください。
初開催のイベントということあり、ゲストを招待するだけでも大変で。当時はシンガポールがどこにあるのかすら知らない企業も多かったのですが、あのとき『マクロスF』が大変人気だったこともあったので、ホリプロさんに「May’nさんにご出演いただけないか」とダメ元でご相談しました。その後、ホリプロの矢田部さんから返信があり、May’nさんをキーゲストに初のAFAを開催することができたんです。 結果、29,000名のお客様にご来場いただき、May’nさんのライブも大盛況でした。
ショーン・チン氏
ある日、May’nに初のAFAを開催するのでゲスト出演して欲しいというメールが届いたんです。May’nはそれまで海外でのイベントに出演した事はなかったのですが、熱烈なオファーをいただき、お受けした記憶があります。
当時、日本のアニメコンテンツの海外人気は聞いていたので、国外のアニメイベントがどんな雰囲気になるのか、楽しみではありました。ただ、ライブする環境どころか、シンガポール自体初めてでしたし、どのくらいの集客がされるかも想像できない中でしたので、ある程度緊張感をもって渡航したのを覚えています。
ライブ当日はたくさんのお客さんが来てくださり、会場がぎっしりと埋め尽くされていました。ライブ直前にお客さんが「May’n」コールをしてくださったことは、今でも鮮明に覚えています。
ちなみにこの時は、東南アジアにペンライトの文化は根付いていなくて。日本から来たお客さんがライブ会場で海外のお客さんにペンライトを配って、振り方を教えていたのが印象に残っています。2年後の2010年くらいからはみなさん自分でペンライトを持ち込まれて、日本同様にライブ中に使っていましたね。
当時、日本のアニメコンテンツの海外人気は聞いていたので、国外のアニメイベントがどんな雰囲気になるのか、楽しみではありました。ただ、ライブする環境どころか、シンガポール自体初めてでしたし、どのくらいの集客がされるかも想像できない中でしたので、ある程度緊張感をもって渡航したのを覚えています。
ライブ当日はたくさんのお客さんが来てくださり、会場がぎっしりと埋め尽くされていました。ライブ直前にお客さんが「May’n」コールをしてくださったことは、今でも鮮明に覚えています。
ちなみにこの時は、東南アジアにペンライトの文化は根付いていなくて。日本から来たお客さんがライブ会場で海外のお客さんにペンライトを配って、振り方を教えていたのが印象に残っています。2年後の2010年くらいからはみなさん自分でペンライトを持ち込まれて、日本同様にライブ中に使っていましたね。
矢田部
――それ以来、毎年AFAのビジネスパートナーとしてお付き合いが続いているわけですね。
矢田部さんは初開催のときからお兄ちゃんのような存在でした。私たちにたくさんアドバイスをして、サポートもしてくださったので、 AFA ファミリーと感じていたんです。ずっとお付き合いしてきたのは当然のことと思っているくらい、素晴らしい関係を最初から築けていました。実際、AFAはホリプロとの関係があったからこそ、どんどん成長できたと思っています。 結果、29,000名のお客様にご来場いただき、May’nさんのライブも大盛況でした。
ショーン・チン氏
私も主催と出演関係者というよりは、ショーンをはじめAFAのみんなとはファミリーのような関係だと思っています。日本コンテンツをこれだけリスペクトして必死にイベントを運営して盛り上げてくれている彼らを見て、日本人として感謝の思いもありました。ビジネス的な調整などで、自分の経験で力になれることも多々あったので、利害関係なしにお手伝いさせてもらったんです。私は割とダイレクトに思いをぶつけるタイプなので、AFAのメンバーとはお互いの気持ちをストレートにぶつけ合ってきたと思います。その後、毎年目に見てわかるほど規模が大きくなっていくAFA、そして東南アジアでの日本コンテンツの広がりに、マーケットとして大きな可能性を感じるようになりました。
矢田部
共に創り上げたMay’n初のアジアツアー
――May’n初のアジアツアーもホリプロとSOZOで一緒に作っていきました。そのときの思い出を教えてください。
「May’n ASIA TOUR」は、私の会社が主催した最初のアジアツアーでした。初めてのことばかりで課題もたくさんありましたが、アジアで日本人アーティストのコンサートを開催できたことで、多くのことを学べたと実感しています。このコンサートがきっかけで、私たちは成長することができ、以降も多くのアジアツアーを開催することができました。矢田部さんが私たちと一緒にやってくださったから、強くなれたんです!
ショーン・チン氏
SOZO さんは、May’nの東南アジアでの可能性を一緒に信じてくれる力強い味方でした。当時取材をしていただいた現地記者の方に言われましたが、マレーシアで日本の女性アーティストがイベント出演でなく単独公演をしたのは、May’nが初めてだったようです。開演直前で電源が落ちるなど色々とトラブルはありましたが、ショーンをはじめとするSOZOのスタッフの熱量があればクリアになると信じていました。海外での公演は日本にいる時には予想もしないトラブルが発生することもあります。だからこそ、パートナーが大事なんですよね。
矢田部
――2010年にAFAで展開していたメイドカフェがきっかけとなり誕生したインターナショナル・アニソンアイドル「Sea☆A」。彼女たちは2011年に日本デビューも果たしていますね。
クールジャパンの名のもとに海外に進出しようとするアーティストは2010年以降さらに増えていった印象がありましたが、AFAや他の国のイベントに参加するうちに、これだけ日本コンテンツを好きでいてくれる人たちがいるならば、Made by JAPANの名のもとに、日本のクリエイティブやノウハウでその国々の原石をプロデュースしてスターに育てたら、現地のお客さんたちも喜んで応援してくれるのではないかと考えたんです。
自分たちの好きなコンテンツがある日本で、自国の子が活躍してスターになっていくなんて、最高のストーリーじゃないですか。
レコーディングやアーティスト写真・MV撮影などはシンガポールで行いました。最初のレコーディングが2011年3月の東日本大震災の2、3日後でしたので、飛行機が飛ぶかもわからない中でレーベルの方と空港に向かったのをよく覚えています。
このプロジェクト、そして海外アーティストの育成を通じて感じたこと、SOZOチームとの共同マネージメントで得た経験は今のホリプロ・インターナショナルの国際マネージメントの原点にもなっていると思っています。
自分たちの好きなコンテンツがある日本で、自国の子が活躍してスターになっていくなんて、最高のストーリーじゃないですか。
レコーディングやアーティスト写真・MV撮影などはシンガポールで行いました。最初のレコーディングが2011年3月の東日本大震災の2、3日後でしたので、飛行機が飛ぶかもわからない中でレーベルの方と空港に向かったのをよく覚えています。
このプロジェクト、そして海外アーティストの育成を通じて感じたこと、SOZOチームとの共同マネージメントで得た経験は今のホリプロ・インターナショナルの国際マネージメントの原点にもなっていると思っています。
矢田部
矢田部さん・ホリプロさんと日本初の東南アジアアイドルユニットを結成したことで、アーティストのマネージメントや日本市場についてもさらに学べました。アイドルたちが頑張って、日本で活躍する姿を見ていると、感動しましたね。
ショーン・チン氏
――2008年のシンガポールでの開催以降、AFAはクアラルンプール、ペナン、インドネシア、タイでも開催されてきました。
シンガポールが始まりでしたが、違う国での展開に挑戦することで、AFAは大きく成長しました。ホリプロさんと矢田部さんが一緒に新しい国での開催に挑戦する過程で、あらゆる面でサポートしてくれたことをうれしく思います。 May’nさんも参加してくださり、アニソン文化の新たな市場を一緒に開拓していきました。
ショーン・チン氏
すべての国で初開催から一緒に作っていけたのは貴重な経験でしたし、各国のマーケットの特徴を知る大きなきっかけにもなりました。
May’nを常にサポートしてくれる東南アジア各国のファンのベースメントは、この挑戦と共にあったと言っても過言ではありません。
May’nを常にサポートしてくれる東南アジア各国のファンのベースメントは、この挑戦と共にあったと言っても過言ではありません。
矢田部
――2014年にホリプロとの資本提携に至った経緯を教えてください。
AFA の拡大に伴い、東南アジアで成長を続けるアニメ、コミック、ゲームカルチャーの市場をキャッチし、より拡大するためにはどうしたらいいか考えた結果、資本提携に至りました。資本提携により、ホリプロとSOZO/AFAは、これまで以上に親しくなりましたね。
ショーン・チン氏
お互いの歩みをふまえ、SOZOさんとの資本提携は必然だったと思っています。
我々のやりたい事を資本提携を通じてやるのではなく、あくまでSOZOおよびショーンの進める事業を資本提携を通じてさらに大きく後押しできればと考えていました。
また、AFA以外にも、日本コンテンツや日本のノウハウを東南アジアマーケットに根付かせることができればという思いもありました。
我々のやりたい事を資本提携を通じてやるのではなく、あくまでSOZOおよびショーンの進める事業を資本提携を通じてさらに大きく後押しできればと考えていました。
また、AFA以外にも、日本コンテンツや日本のノウハウを東南アジアマーケットに根付かせることができればという思いもありました。
矢田部
――AFAではホリプロがブース出展もしています。
これまでのアーティスト稼働ベースの取り組みに加え、AFAというショーケースの中でtoC向けの様々な取り組みも行いました。自社アーティストや声優のライブ・トークステージを展開したり、ブースでは自社コンテンツの紹介など様々なアプローチをしたり、多くのお客さんに「ホリプロ」にふれていただく事ができたと思います。
矢田部
私たちにとって、開催時からお世話になっているホリプロは、特別な存在でした。チーム一丸となってアイデアや企画を出し合い、ホリプロのブースがアジアのオーディエンスに深くアピールできるよう力になりたいと思ったんです。
ショーン・チン氏
記念すべきAFA10周年
――2018年のAFA10周年ではレッドカーペットをショーンさん、May’nさん、矢田部さんで一緒に歩いたんですよね。
10周年を迎えたとき、赤ん坊同然だった AFA がこれほど長い道のりを歩んできたことを誇りに思いました。 May’nさんや矢田部さんと一緒にレッドカーペットを歩けたことは、私にとって誇らしい瞬間でしたね。きっと、あのときのことは永遠に忘れることはありません。その年にAFAは、シンガポールのベスト レジャー イベントを受賞しました。私たちのパートナーシップが大きな成功を収めたことが証明されたんです。
ショーン・チン氏
AFAの一員として10周年という記念すべき年に至るまで、一度もかける事なくSOZOと共に一緒に歩めた事を、私も改めて誇りに思いました。ショーンと共にレッドカーペットを歩いていた時は、2008年からの10年分のハプニングを懐かしく思い出しながら感慨もひとしおでしたが、弊社アーティスト、声優における東南アジアマーケットのサポートに改めて感謝すると共にこれからのさらなるSOZOおよびAFAとの共同事業の発展へ期待が膨らみました。
矢田部
――「I♡Anisong HORIPROINTERNATIONAL DAY」の感想は?
思い出に残る素晴らしい夜でした。ホリプロインターナショナルのトップ アニソン シンガーがコラボレーションして、素晴らしいショーを提供してくれたことに、とても感動したんです。誇りにも思いました。
ショーン・チン氏
ホリプロインターナショナルのアーティストや声優だけでのステージは、長いAFAの歴史の中で一度もやっていなかった事です。
AFAのみなさんとMay’n、茅原実里、田所あずさ、大橋彩香、そしてホリプロインターナショナルのスタッフが一丸となり作りあげたステージは、私にとっても特別なものでした。
AFAのみなさんとMay’n、茅原実里、田所あずさ、大橋彩香、そしてホリプロインターナショナルのスタッフが一丸となり作りあげたステージは、私にとっても特別なものでした。
矢田部
――2022年に行われたダンスイベント「J-Dance Asia」の手ごたえはいかがでしたか?
ダンスは日本の音楽を広めるための次のステップであり、クールな方法だと思います。その第一歩のイニシアチブが大きな成功を収めたことに満足しており、ホリプロインターナショナルと共にこのコンセプトを将来的に発展させていくことを楽しみにしています。
ショーン・チン氏
音楽を中心としたクールジャパンの展開は取り上げられていますが、実はダンスはダンサーさんの国際交流が昔から盛んで、日本人ダンサーも海外に渡って各国で活躍をしているんです。グローバル展開が進んでいるんですよね。K-POPはダンスも非常に注目されていますが、K-POP自体に日本のダンスシーンも大きな影響を与えていると思っています。世界各国で日本の音楽でダンスを表現する、そんな事が当たり前になってくると様々な角度で面白い広がりがあるのではと思っています。
矢田部
今後の展望
――それぞれの今後の展望を教えてください
アニメと日本のポップカルチャーが大きく成長している今、まだまだホリプロインターナショナルさんと一緒に多くの展開ができると思っています。これまでの15年間、私たちは共に多くのことを達成してきました。次の10年間の成長も楽しみにしています。
ショーン・チン氏
東南アジアマーケットは経済成長も著しく、若年層人口率の高いマーケットであり、この先10年でさらなる発展を見込める重要な市場であると認識しています。また、15年前から日本のアニメやポップカルチャーを発信し続けてきた中で、当時来場していた子たちが今は中年層なわけで、幅広い年代に日本コンテンツが認知されてきている土壌があるとも思っています。そういった意味で、当時とは違う角度でのチャンスはたくさんあると思っていますし、SOZOと共に歩んだ15年のノウハウをもとに、新たに各国ローカル市場もがっつりと開拓をしていきたいと思っています。
矢田部
――日本のエンタメ業界の良い点、悪い点を教えてください。
彼は言いづらいところもあると思いますが、私からみると良い所も悪い所も「日本の常識は世界の非常識」。
これに集約されていると思います。日本で独自文化が育つ理由、日本が世界発信に出遅れる理由、どちらにもいえる言葉ですね。
これに集約されていると思います。日本で独自文化が育つ理由、日本が世界発信に出遅れる理由、どちらにもいえる言葉ですね。
矢田部
――ありがとうございました。